
Maison Louis Carré, Alvar Aalto, 1959
NOTES

Maison Louis Carré, Alvar Aalto, 1959

器屋で、「少し傷があるので安いんです」と言われた。
でも、どこを見ても傷らしきものは見当たらない。
店員も首をかしげて、「わかりませんね」と言う。
「僕ら、老眼だからね。仮にあったとしても、
たぶん一生気づかないと思う。だから大丈夫ですよ」
そう言うと、店員は少し安心したように笑った。
少しぼやけているくらいが、都合のいいこともある。
世界はいつも、必要以上にくっきりしすぎている。
情報は洪水みたいに流れ込んでくる。
「今の時代は情報過多ですからね」と店員は言った。
「デジタルデバイスから少し距離を置いたほうがいいよね」
僕はそう返した。
すると彼は、少し間を置いてから、
「実は昨日まで、デジタルデトックスしてたんです」と言った。
電波の届かない山奥の、ひなびた温泉旅館。
食事は自炊で、部屋には小さなこたつがひとつあるだけ。
温泉に入って、降る雪を眺めながら本を読む。
それだけの時間が、信じられないくらい贅沢だったらしい。
「もしよかったら、行ってみてください」
そう言う彼の声は、山の空気みたいに澄んでいた。
江戸末期の小さな皿を四枚、僕らは買った。
レジ前で交わしたのは、たった二、三分の会話。
彼は僕より二十五歳くらい若そうだったけれど、
不思議な落ち着きがあって、自分の言葉を丁寧に紡いでいた。
店を出るとき、玄関先で彼は両手を振って、
「また来てください」と言った。
その言葉は、必要以上に響くこともなく、
けど、ポッケに大切にしまった。

雨は音に、雪は余白に。

屈した日
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